00052-040515 叱咤と激励
昨日の続き。
shio.iconは昨日、「感謝」と「賞賛」が人を伸ばすと書きました。 しかし、人はよく「叱咤、激励」します。shio.iconはこれに全く賛成しません。
まず「叱咤」。
しつけにおいて叱ることは非常に大切です。しかし、それは人を「伸ばす」ことにはつながりません。マイナスの方向に行った人を、ゼロまで補正する作用しかありません。
叱るとは相手の過去の行為を否定する働きかけです。悪いこと、いけないことをした際に、それがよろしくない行為であることを理解させ、以後の生活における行為規範を与える。それは社会生活を営む上で極めて基本的で重要なプロセスあり、成長の過程で質の良い「叱咤」に触れることは不可欠です。
しかし、叱咤で人は伸びない。ダメなものをダメというだけだからです。その人の行為を否定するものだからです。叱咤が依拠する価値観は叱咤する人の価値観であって、叱咤される人の価値観とは異なる可能性があるからです。
したがって、「人を伸ばす」という視点においては、叱咤は有効ではありません。
次に「激励」。
これも人を伸ばす働きかけではないと思います。
激励とは、うしろから人を強く押し出すこと。たとえば、尻込みしている人を舞台に押し出したところで、いいパフォーマンスができる保証はありません。自ら舞台に出たいと感じ、すでにその能力と自信を持っている人に対してであれば、激励をすることも効果を持つかもしれません。しかし、そのような状況にない人をいくら舞台に押し出そうとしても、余計に足を踏ん張って舞台に出ないようする力を強めてしまうことになりかねません。
「がんばってね」、「がんばれ」ということばを耳にする回数がとても多い。shioもまれにことばが見つからなくてこのことばを使ってしまうときもあるけれど、できるだけ使わないようにしています。そしてゼミのみんなには常日頃、「がんばるな」と言っています。「がんばるくらいならやらなくていいよ」と言っています。がんばらない方がいいパフォーマンスができると思うのです。
叱咤と激励。
イケマセンとガンバレ。
どちらもshio.iconは好きではありません。
ご覧いただきどうもありがとうございました。